深読みやムダ知識、独自の解釈など。ファン以外はどうでもいいコトを好き勝手に放り込みました。

■近藤喜文さんをふとふり返ると

自らの命をアニメーションに捧げた天才・近藤喜文。
彼の手から数え切れないほどのキャラクターが命を吹き込まれました。
これからも数え切れないほどのキャラクターに命を吹き込んでくれる・・・と信じていました。

・・・しかし彼は静かに旅立ちます。1998年1月21日。

わたしたちにステキな宝物を残してくれた近藤喜文さんをしのんで、彼の地元・清瀬をふり返ります。


▼『ふとふり返ると−近藤喜文画文集−』を片手にどうぞ

ふとふり返ると アニメーター・近藤喜文
『耳をすませば』の監督として広く知られる近藤さん。
「名探偵ホームズ」ではキャラクター・デザインと作画監督を担当されていました。
痩せ身の長身だった近藤さんは、モリアーティ教授の手下・スマイリーのモデルにもなっています。

わずか47歳で旅立った近藤さんが5年の歳月の間に描きとめた、
子供たちそして人々の光あふれる瞬間。
そんな優しいイラストが 『ふとふり返ると−近藤喜文画文集−』にギッシリつまっています。

この画文集をながめると、近藤さんの地元・清瀬に関する記述をところどころにみることができます。
特に後半部はバス停や団地内のお祭など、なにげない地元の日常を描くことが多くなっています。
これはどうしてなのでしょう?

画文集の元となった『アニメージュ』の連載「ふとふり返ると」は当初、近藤さんが描きためたスケッチの中から5〜6点を選び、
近藤さんのコメントを掲載するというスタイルでした。
しかし「ひとつひとつの絵に集中したい」という近藤さんの意向により、
『アニメージュ』1994年10月号から1枚絵の描きおろしを掲載するスタイルになったそうです。
このスタイルの変更はスケッチのやり方にも影響を与えたのではないでしょうか。
出勤途中の出来事や会社まわりの風景を何点もスケッチすることから、
週末の休みを利用し地元のワンシーンを詳細にスケッチするというように。
いや、むしろスケッチのやり方を変えたかったから連載スタイルを変えるしかなかったのかもしれません。

優しくて懐かしい場所。
トトロが本当に出てきそうな風景。
生き生きとあたたかく描かれた人々。

ちょっとだけでものぞいてみてください。
スタジオジブリのあの世界は、なにげない日常にあったのだと感じさせてくれるはずです。


▼驚愕の事実!

管理人はこの画文集をながめて、近藤さんの清瀬に対する真っ直ぐで優しくて懐かしいキモチを感じました。
それは管理人自身が清瀬に持つキモチとまったく同じだったのです。いや、マジで(笑)

実は管理人も1999年3月から2000年6月までの1年ちょっと、清瀬に住んでました。
しかも近藤さんのご自宅がある団地と数百メートルしか離れていないアパートに住んでいたのです。
そうご近所さんだったのです!後から知ってビックリ!

ですから、画文集で描かれる清瀬の風景は「あ!○○だ!」とわかるところが多く、
勝手に親近感を覚えてしまいました(笑)

これからご紹介する場所は、とっても地元色豊かなものばかりです。
少しでも場所を想像できるように、かんたん清瀬マップをご用意しました。
こちらのリンクをクリックすると表示される「清瀬マップ」をご覧になりながら、以下文章を読まれることをオススメしますv


▼清瀬・基礎編

「いい加減清瀬をふり返りなさいよ!」と怒られそうですねぇ。
では基礎編から(笑)・・・まあ、のんびり行きましょう!清瀬はとってものんびりしている所ですしv

清瀬市。
東京・池袋駅から西武池袋線で約30分のところにある、緑あふれる住宅都市です。
一応「東京都」です。埼玉県所沢市や新座市とお隣さんなので、よく「埼玉県」と間違われますが「東京都」です。
いいですかぁ?間違わないように!「清瀬は東京都」。試験に出しますよぉ(ウソ・笑)

市名の由来は諸説ありますが、清戸(地名)の「清」と市北部に流れる柳瀬川の「瀬」をあわせたものだと言われています。
清戸という地名は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が老木の根元で休んだ際「清き土なり」と言ったとことから
その土地が「清土」と呼ばれ、いつしか「清戸」と書かれるようになったと伝えられています。

人口は平成16年時点で69000人ほど。
30分ほどで池袋まで行けるという利便性もあり、ここ数年は人口も増加傾向にあるようです。
しかし「市」でありながら、市内には警察署や保健所、税務署がありません。(交番と消防署はありますが)
主に隣接する東村山市から分担してもらっているので、これで十分なのでしょう。多分。
でも引越し時、免許書の住所変更は面倒だった(;_;) 清瀬→所沢で乗り換え→東村山→さらに歩く→東村山署。面倒だ〜

実際に清瀬に行かれた方は、そろって同じ印象を持ったことでしょう。
東京にもまだこんなところがあったんだね」と。
市名そのまま、清らかでなんとなく懐かしくなる場所です。

そんな清瀬は、近藤さんの地元なのです。


▼畑の中のバッティングセンター

ではそろそろ画文集をながめながら清瀬をふり返ることにしましょう。お待たせしました(笑)

画文集39ページには、連載9回目の「ふとふり返ると」が連載時と同じスタイルで掲載されています。
「富士山ものがたり」と題されたそれは、近藤さんのご自宅からみえていた富士山が
土地開発によって年々景色が変わっていき、10年後にはすっかりみえなくなってしまう様子をマンガ形式で描かれています。
清瀬の街の移り変わりを感じることができる作品です。

管理人が清瀬に引っ越した時にはすでに駅ビルがあったため、部屋の窓から富士山をながめることはできませんでした。
当時からみれば住宅は増えたと思いますが、「まわりはみんな畑」というのは今でもほとんど変わりません。
おかげで春先の風の強い日などは畑の土が舞い上がり、外は一面「黄色」になってしまいます(^^;
近藤さんも画文集65ページ右下で触れられていますね。
ウソだと思っているあなた!甘い!甘すぎですよ!!
管理人が当時乗っていた赤いバイクは、しっかり黄色になりました・・・(゜Д゜)

ド派手なバッティングセンターは「アスカ」といい今も健在です。
2000年くらいまでは外壁はクリーム色でした。
が、2004年12月に再びみたらド派手な色に!(一瞬、我が目を疑いましたよ。。。)
どうやら5〜10年周期で「ド派手色→クリーム色」を繰り返しているようです(笑)
余談ですが、このバッティングセンターは管理人にとっても思い出の場所だったりします。
デート(?)がてらここに行ったりしたものです(^^; 他に遊び場がないだけなんですケド(笑)

気象衛星センターは清瀬の最先端施設(?)かもしれません。
気象衛星からのデータは、ここで画像となり各種観測に利用されます。
画文集77ページや98ページの1枚絵にもちらっとその姿がみられます。
なお、気象衛星「ひまわり」にちなんで、この前を通る道は「ひまわり通り」と呼ばれています。
(70ページに『ひまわり通りの老人会の主催で・・・』という記述は、この通りのことです)


▼なかなか来ないバス

画文集59ページには、なかなか来ないバスが待ちきれずに
何度も何度もバスがみえるところまで行ったり来たりする少女の姿がユーモラスに描かれています。

このバス停は清瀬市中清戸3丁目の「中清戸」。
描かれているバスは、清瀬駅北口行きの西武バスです。

バスが曲がってくる四つ角の図がありますが、正確には「交差点」にはなっていません。

「四つ角」の左下にあたる位置には、「喫茶るぽ」があります。(65ページにちょこっと登場してます)
この喫茶店は山小屋風のかわいい外観で、中はふきぬけの木造。もちろん2階にもいけます。
そしてワッフルが名物!単品で500円くらい、セットで850円くらい。
管理人はモーニングセットしか食べたことがありませんが、どれもウマそうでした♪
なお、この喫茶店は「仮面ライダークウガ」の主人公が下宿していたところとして外観を使われたことがあるそうです。
清瀬も全国規模になりました(笑)


▼満開の桜とホタルの養殖

画文集79ページには、川べりで釣りをしたり桜を楽しむ風景が描かれています。
この川は柳瀬川。台田団地付近の風景です。
清瀬駅から直線距離で2Kmほど北に位置します。

柳瀬川沿いの土手には桜の木がたくさん植えられており、春になると満開の桜を楽しむことができます。
お花見スペースや桜のトンネルもあり、結構穴場スポットかもしれませんv
金山橋から下流にかけて遊歩道が設けられているので、四季を通して自然の中を歩くのにもピッタリです。

金山橋のすぐそばには金山緑地公園があり、休日は楽しそうに過ごす家族がたくさん。
この公園のテーマは“武蔵野の風と光”で、ケヤキ・クスノキ・コナラ・エゴノキ・ウツギ・ヤマハギなどの樹木と
クマザサや各種の野草が植えられ、武蔵野の雑木林が再現されています。
さらにホタルの養殖も行っており、画文集95ページにもホタルを自然に放つ様子が描かれています。

花菖蒲が浮かぶ公園中央の池には、カモもたくさん浮かんでいます(笑)
公園入口にはノラ猫となぜかニワトリ(!)も。
食欲旺盛な彼らに会うときには、清瀬市役所となりのパン屋さん「エミュウ」で必ずパンを買っていきます♪
量り売りのパンが3種類もあって、これがまたウマいんです。焼きたては激ウマ!!

公園をちょっと奥にいくと釣堀が。ここも休日にはとてもにぎわっています。
管理人、この日の釣果は雑魚1匹でした(^^;


▼カントリー・ロードに包まれて

大勢の人に惜しまれながら、近藤さんは静かに旅立ちました。
白い雪が残る中、近藤さんの通夜と告別式が行われた場所は「全龍寺」。
けやきの木がたくさん植えられている志木街道沿いにあります。
志木街道は交通量のわりには狭いのが難点ですが、秋は紅葉した木々が映える素朴な道路です。

全龍寺は武蔵野三十三所観音巡礼の6番札所で、400年以上の歴史をもつお寺です。
道路をはさんだ向かい側にはスギの古木や三猿の石灯籠で有名な日枝神社もあります。
全龍寺の入り口には、「曹洞宗 全龍寺」とかかれた石像(?)と有名な子育て地蔵が立っています。

少し狭い参道を30メートルほど入ると斎場と広い駐車場、右手奥に本堂があります。
敷地内まで入ったのは初めてですが、こんなに広いとは思いませんでした。
本堂前には仁王像と大きな石灯篭が立っています。どちらも立派!
石灯篭の前には「武蔵野第6番 納経所」と書かれた小坊主の看板が立っています。
本堂手前左手には赤い柱に瓦屋根を持つ鐘楼があります。これまた立派!!
鐘楼の斜め前にはなぜか鳥小屋。しかもものすごい数のインコ!下の方にはニワトリもいます。
2〜3メートル離れたところには犬も。多分お寺さんで買っているペットなのでしょう。

管理人が全龍寺に立ち寄った時、ちょうど告別式の最中でした。地元の方なのかもしれません。
心の中で手を合わせました。

・・・時をさかのぼり1998年。

1月22日、通夜。
翌23日、告別式。各界と一般から約500人の弔問客が訪れたそうです。
『耳をすませば』の主題歌「カントリー・ロード」に包まれて、近藤さんのご遺体は出棺されました。
「もっと仕事がしたい!もっと描きたい!」という思いは残念ながらかなえられませんでしたが、
宮崎駿氏の弔辞のとおり、自然ととけあって安らかに眠られたと信じたいです。
高畑勲氏の弔辞のとおり、近藤さんの仕事はこれからも生きつづけ、愛され、影響を与え続けています。


▼残したいあの風景

ご紹介した場所は清瀬駅北部から北東部に位置しています。
しかし、志木街道から分岐するかたちで整備された大きな道路が、将来的には清瀬駅までつながる計画です。
この道路の完成が近づくにつれ、近辺の風景は大幅に変わってしまうのではないかと心配です。

春先の風の強い日、黄色い土を舞い上がらせる畑。
バッティングセンターや気象衛星センター、喫茶ルポ、そして「中清戸」バス停。
この真ん中を通るように道路が作られているのです。

2000年までは交通量も少なく、この道路でインラインスケートをして遊んだものですが
志木街道とつながったことで交通量はもちろん住宅も増えました。
これが清瀬駅までつながると・・・?
近藤さんが慣れ親しんだあの風景は、あと数年で姿を消してしまうかもしれません。

近藤さんが「本当に描きたいもの」を探して、見つけて、描いた風景が
ひとつ・・・またひとつとなくなっていくと思うと・・・。とても悲しい。

便利になることは単純にうれしいし、時代の流れには逆らえないかもしれません。
でも、素朴でなにげない風景と日常こそ、残したいと思う。
清瀬はそんな街なのです。


▼さいごに

以上、近藤さんの画文集『ふとふり返ると』を片手に、清瀬をご紹介してきました。

近藤さん唯一の単独著作となったこの画文集は、1998年3月31日に徳間書店から出版されました。
ご遺族の意思により、弔問客への返礼として各人に送られたそうです。

画文集には近藤喜文という人間がみた風景そのものがつまっていると同時に、
近藤喜文という人間そのものもつまっている。
・・・管理人は、そう思います。

ふとふり返ると−近藤喜文画文集−


参考サイト:
清瀬市役所
みんなのさばきよ商店

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